ピアノとわたし

両親と幼い頃のわたし

両親の元に長女として誕生。
2つ下の妹と4人家族。

父は音響スピーカーを自作する器用な人。
母の料理は実家の定食屋で鍛えられた絶品料理。
両親共に熊本県に実家があり、遠く離れた関東で、
核家族での子育てを必死に頑張ってくれた。

わたしは、ごっこ遊びが大好きなこどもだった。


ピアノとの出逢い

ピアノを習いたい!と1年間言い続け、5歳の時、ピアノを習い始めた。
ということなんだけど。 今となれば不思議なことだな〜っ。

引っ込み思案な性格でしたが、小学校5年生の時、クラスの合唱の伴奏役に立候補した、、、!
人前でピアノを弾くこと。たくさんの友達の歌に合わせてピアノを弾く醍醐味を味わった。
音楽の虜になっていく大きなきっかけ。

音楽の魅力

夢も目標もないまま 大学に進学したワタシ。
1年生の終わりには、うつうつとした気持ちが充満して、
しばらく大学に行けずにいた。
3ヶ月ぶりの大学の校舎で、学生たちが奏でるサックスやウッドベース、
ピアノの音色に心打たれた。
音楽に救われた!そんなJAZZとの出逢いだった。

spain留学中


そのまま、JAZZサークルに入部した。
ひとりひとりの独特な表現に悔しい思いをする事も多々。
感動することも多々。
音楽で繋がる人とのご縁の喜びを味わうようになっていった頃。

卒業後は、企業への就職がしっくりこず
アルバイトしながら、海外へ行くようになった。
NYの地下鉄に乗った瞬間に味わった”強烈な開放感”
その体験は、自分の選択を肯定する絶大な理由を与えてくれた。
観光ビザをフル活用して長期滞在。
大好きなJAZZ音楽を、身体中でたっくさん味わって帰国。
3ヶ月ぶりに自宅のピアノに向き合った時、
内側からブルージーな旋律とJAZZ独特のリズムが体から湧き上がるようにピアノを弾きはじめていた!その驚きと感動。
あれほど練習してもうまく弾けなかったのに。。!!

この経験は、わたしを次なるチャレンジへ導いてくれていた。

ニューオリンズ

CDデビュー

ピアノを人前で弾いた方がいい。
そう言い続けてくれた友人がいた。
彼の後押しがあってわたしはバンドを結成した。

そしてインディーズレコード会社の社長に声をかけられて、
CDデビューするという、幸運を果たした。

”あなたの曲が好きだから”そう社長から言われたこと。
”作曲を”意識するきっかけになった。

レコ初

結婚そして山の上の古民家への移住

夫婦ユニット由朋

音楽活動を通じて知り合った、由章と結婚。
2007年、夫婦ユニット”由朋ゆうほう”を結成し、西日本ツアーを行った。
このツアーで出会った様々な人々・場所。
人間が生きる根本的に大切な”何か”を、考えるきっかけを与えられた。
人として生きるとはどういうことか?
すこしでも調和的で平和的な暮らし方、生き方、を求めるようになった。
自然豊かな場所に移住したいという気持ちが固まった。

これから続いていく世代のために

長女が4ヶ月の頃に山の上の古民家に移住した。
出産を通して、いのちの巡りを身体中で味わった。
長女の出産の時の、不完全燃焼感。当時はそれは言葉にならなかったが、
大切な何かを喪失している感覚だった。
その後、自宅出産、家族だけの出産へと形がシンプルになっていく。
腹を決めていくプロセスも動いた。
結果、出産を通して、”女”という身体に備わる本能的な力を、
骨の髄まで味わうに至った。
その体験は、絶対的な安心を運んできた。

これからの時代を生きていく人間として、大切な道標がそこにはあった。

体験による確信がビジョンとなり、大地の声を聞き
コンサートを創り、旅をして、ピアノを弾く
ピアニスト活動の原動力となっている。

43歳4人目出産