Aión|受け渡されていくものの中で

音旅がすすむ時、出来事が一本の線で結ばれる


音旅を続けるなかで、
出来事が、あとから一本の線で結ばれていたと気づく瞬間があります。

昨年末、仙台へ向かうことを決めたとき、
大阪で音旅をともにしてきた大切な人のルーツが、仙台にあることを知りました。

同じ頃の冬の音旅..
秋田県を訪れた頃、大切な人のお父様が旅立ち、
また別の人のお父様も病に倒れ、
それぞれが、
家族という深い場所と向き合う時間の中にいました。

わたし自身もまた、
父との関係のなかで、
これまでとは違う距離の取り方を選ぶ出来事がありました。

その後、
秋田県で音旅をともにしてきた方から、
「お父さんが旅立たった」と
メッセージが届きました。

ご一緒した音旅先・横手市での音旅の翌日が、お父様の誕生日であったこと。
そして、お父様が旅立たれた翌日が、ご自身の誕生日であったこと。

「命のつながり、何かを託されたような気がしています」
と書かれていました。

さらに、
亡くなったお父様の仕事を引き継ぐことになった方は、
"大阪"出身で秋田県に住む方であり、
その方から、"仙台"のお土産を受け取ったといいます。
彼女へのDMで大阪と仙台を結ぶ、春の音旅のご案内をきっかけにこの出来事を知ることになったのですから.....

離れて存在していたはずの土地と人が、
静かに、確かに、結ばれていく。

同じくして、2026年春の秋田県への音旅先のご縁が結ばれる中、太平山の麓にある場所で、
「いつかここでも音を」と言っていただき、、、

その頃、 仙台で出会った少年は、
「大平-たいへい-」という名前。
会場のピアノに触れ、音を紡ぐ姿に、太平山が重なってくる....

太平山と、大平君。
偶然と呼ぶには、あまりにも静かな必然のように感じられました。

映像が残され始めた理由

音旅は、
どこかへ音を運ぶというより

すでにそこに在るものに触れ、
その瞬間に立ち会うことなのかもしれない。

音は、
人の記憶と土地の記憶の境目に現れている。

近年、
音旅の場には、自然と映像を記録する人が現れるようになりました。

依頼したわけではなく、
必要な瞬間に、必要な人が現れ、
その場を残していきます。


滝の前での演奏、
森の中で灯された小さな灯り、
絵が生まれる瞬間、
そこに集まった人たちの静かなまなざし。

それらは、単なる記録ではなく、
その場に確かに存在していた「時間の層」が、
次の誰かへ受け渡されていくための形なのだと感じています。

音が立ち現れた瞬間の気配が、
映像や言葉を通して、未来へ残っていく。



これまでの音旅は、
東北で受け取ったものを、西へ運ぶ旅でした。

岩木山のふもとで生まれた音。
秋田や青森で触れてきた、土地の記憶。
それらを胸に、大阪や九州へと向かい、ピアノを弾いた。
そしてまた、東北へ戻っていく。
音は往復しながら、少しずつ姿を変え、深まっていきました。
今回、はじめて、
西で生まれたものが、東へ向かおうとしています。

人と人のあいだで受け渡され、育まれてきた音が、
いま、仙台という東への扉へ、向かっている。

まるで
大地にしみわたっていくように。

音旅は、
その連なりの中にあります。

この旅を続けられることに、
静かな感謝と喜びを感じています。